私の履歴書第1弾 [私の青春時代]
続きは いよいよ運命の人に巡り合う??? その前に胸キュン失恋話(ノ△・。) [私の青春時代]
運命の人に巡り合う前に
人生を覆してしまう様な色んな事があった
その事は今は言えないけど、
その代りに胸キュンな片恋の出来事を書きます!
T自販勤務の時、毎年蓼科の健保のロッジへ
同僚と泊まりに行っていたのです。
必ず課内の誰かが蓼科へ行っていたので、
その車に便乗して載せて貰ってたのです
避暑地としては蓼科より軽井沢の方がお洒落で知名度も高かったので
何だか地味ぃーって気がして、渋々行ってました。 (贅沢な話だよね罰当たりもん)
何せ、超安く利用出来るので、行かない手は無かったのです!
車山のリフトに乗って空中散歩するのがとってもお気に入りだったんだよね
そんなある夏の蓼科で知り合ったグループが東〇理〇大のゼミグループの男子達
私達女子は4人グループ、理科大グループ男子は10人位、
出会った場所は乙女滝
渓谷を登って居る時『エライエライ』というと、男子の一人が『誰が立派なの?』
って、皆大笑い・・・
名古屋では疲れたとかしんどいと云う事を『エライ』と云うのだ
前後の脈絡からすれば、大体の意味は解るのに、そんな冗談を言って
笑わせてくれたのは、(今思えば)福山雅治似の男子
そんなラフな彼にすっかり魅せられてしまったのは言うまでもない
4人の中で一番温厚で頭が良く超真面目な女子が、
男子グループのリーダー格の超真面目な男子と
後に結婚する事になるとは、この時誰が想像しただろうか・・・
私はと云えば、その場では
『大学の研究室へ遊びに来なよ!』とか言われ
結構盛り上がったんだけど、その半年後
↑の女子と共に本当に東京へ行ったら
彼は東京に彼女が居たらしく、逢えませんでした
私の胸キュン恋は6か月の文通の末、あっけなく散ったのでした
超真面目な男子と女子は最初から結婚を意識して居たらしく
遠距離恋愛の末、見事ゴールインしたのでした
その十数年後、同大学の教授夫人となり、
高卒だった彼女は、一念発起してしゃかりき勉強をして
早〇田大学へ入学し無事卒業したそうです
そんなあれや、これや、いろいろあって、
18歳から3年半勤めたT自販を退社する事になったのであります。。。
次はいよいよ・・・・・・
人間、年を取ると、ついさっきの記憶は忘れても
昔の事は(都合のイイ事だけ)よく覚えている
と云うが、正に自分がそんな年齢になってしまったのかと、
愕然としてしまいます
平均余命でイクと、後20年は生きられる計算なのですが、
もしその頃まで生きて居たなら、今現在の事を
『あの頃はまだ若かったなぁ~』と思うのでしょうか
今の内にやりたい事、逢いたい人に逢っておかないと(・・*)。。oO
↑のエピソードは45年程前のお話です
昔の記憶は美化しちゃうのよね<( ̄∇ ̄)ゞゴメリンコ~♪ [私の青春時代]
何処まで書いたか忘れちゃった
と云う事で前の記事をコピペしてみた
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私はS君と一緒の車に乗りたかったので
嫌だったんだけど、渋々次のインター迄と云う事で
番長と2人きりにされてしまった
さてどうなる私の運命は・・・・・・
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走り出す前に、やっぱりどうしても二人きりで乗るのは『嫌ッ』
と、降りようとした矢先、∑(゚□゚;)ガーン(。□。;)ガーン(;゚□゚)ガーン!!
強引に あれfirst kiss を奪われてしまった
好きな人がスグ近くにいるのに、こんな悲惨で悲しい事があるんだろうか
私は驚いて、車を飛び出して泣き崩れる様にして友達の処に逃げた
何があったか、S君も皆も大概の察しは付いたんだろうけど、
皆無口で、引き返す事になった
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実家の前の川で撮って貰った唯一のS君とのツーショット写真
番長さんも悪い人じゃないんだけど、男気があるし、家族思いの優しい処も有るし、
一度番長M君のお兄さん家族の家に連れてって貰い、ご馳走になった事が
有るんだけど、スゴク暖かい家庭だった記憶がある
S君を好きじゃ無かったら、この番長M君と結婚していたかも・・・
そうしたら私の人生は大きく変わっていたのだろう
その後、番長とは付き合いをお断りし、S君とはずっと友達のまゝ
手を繋ぐ事も無く、片思いのまゝ、現在に至ってる
何もなかった片恋は
いつまでも純粋な恋の思い出として永遠に心に留まる
S君が振り向いてくれなくて良かったのかも知れない
番長M君とは40歳頃再開する機会が有ったんだけれど、
中古車の販売会社の社長さんになっていた
年を経て益々高倉健さんに似ていた
高倉健さんは好みじゃないから、やっぱこの人とは
縁が無かったんだろうなぁ~
『あの時私はS君が好きだったんだぁ~』って、
M君に告ったら驚いて『へぇーそうだったんだぁ~』を連発していた
私って感情がモロ出ちゃうタイプだから、S君が好きな事なんて
即解っちゃうと思うんだけど、体育会系の人って、鈍感なんだねぇ~
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続きは
いよいよ運命の人に巡り合う???
長らくお待たせしました、前回の続き・・・追記有り [私の青春時代]
『グループ交際ならお付き合いしても良いです』と
お付き合いを承諾したのでした
あ~もうこんな時間、続きは又何れ・・・
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長らくお待たせしました
グループ交際を承諾して2週間位経ったある日
皆でで東京へ行こうよって事になった
多分ゴールデンウイークの時だったと記憶してる
確かその頃は18歳で軽免許が取得出来たので
高3でも車を運転する事が出来たのだ(うろ覚えだけど?)
私の友達も誘って、勿論S君も一緒に男子3人女子2人で
車2台で東名高速に乗って一路東京へ
この頃(≒1967年)、マイペースの『東京』はまだ存在しては居なかったけど・・・
このマイペースの東京を聞く度に山平和彦さんの事を思い出すんだよね
追記
山平和彦と云えば【放送禁止歌】だけど、私にとっての山平さんは
この『君が好き』という曲を作ってる最中?に、車の中(二人っきりじゃないよ)で
唄ってくれた山平さんを思い出してしまうんだよね
そして、どれ位走ってたんだろう、何処のインターか覚えて無いけど
休憩してお昼を食べて再び車に乗ろうとしたのだが、
行きは番長と私と友達と3人で乗ったんだけど、
ココからは私と番長と2人で相乗りと云う事になり、
私はS君と一緒の車に乗りたかったので
嫌だったんだけど、渋々次のインター迄と云う事で
番長と2人きりにされてしまった
さてどうなる私の運命は・・・・・・
スンマセンまたもや時間が無くなりましたm(*- -*)mス・スイマセーン
またもや続きますぅm(*T▽T*)m オ、オユルシヲ・・・